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 新年明けましておめでとうございます。

皆様におかれましては心身共に健やかに新年を迎えられたことと思います。
 人は誰でも年を加えるごとに体力・能力の低下などの状況が現れて参ります。その衰えをカバーしてくれるのが知力であり、法運・法得先生の遺された”み教え”こそが、その知力の源だと思います。
 乱れやすい私達の心を整えて正常に戻してくれる働きが”み教え”にはあります。それには映るもの、耳に聞こえてくるものを我が身を振り返る糧として受け取り、それを心に留め今後の歩みに活かしていく努力が求められております。  
 もしそうした行いが出来れば、体力・能力を補う高齢者のたしなみとして次世代へのおくりものとして、この知力のバトンを渡していけると思っております。
 人と人の中で生活している私達ですから、ご家族、親戚縁者は元より、取り巻く環境に寄り添い、会のお仲間との関係も大切に考え交流を深める一年であって欲しいと思います。
 そして 現在唯今が一番楽しい時、幸せな時と心に刻み、大自然が私達にあてがってくれる環境を楽しみながら、今年一年感謝してニコニコと暮らしていきたいものですね!
             
    令和七年元旦

困難を喜びに変える教えに繰り返し繰り返し触れ、安心の気持ちを胸に納めて今年一年楽しく歩んで行きましょう。
 
 現在私たちをとりまく環境には様々な変化が現れております。
 地球の温暖化による自然環境の変化、はたまた世界情勢の変化を含む安心・安全への変化等、いくばくかの不安も感じますが、それでも日本の国に生まれたことに幸せを感じます。
 法運・法得先生の遺されたご著書の中に、日本の国の成り立ちが詳しく書かれております。
 諸説でありますが、私たちの国は紀元前660年、初代神武天皇が即位なされてから現在の令和の天皇まで126代と永きにわたって続いております。
 この国も多くの困難を乗り越えて、ここまでやって参りました。そして私たちも自分の歴史を考えてみますと、両親があり、先祖があったればこその思いが広がります。
 そのお陰を頂けた私たちは、どの様にご恩返しが出来るだろうか、常に私たちを見守っていて下さる先祖に、両親に心配をかけない生活をさせて頂くことこそが、私たちの最低限の責務であり、ささやかな恩返しになるのではないかと考えます。
 幸い私たちは困難を喜びに変える教えを繰り返し繰り返し頂いております。私たち個々が日常を安心の気持ちで生活させていただくことが出来れば、先祖も両親も安心して見守って下さる、と教えて頂いております。
 是非その安心の気持ちをしっかりと胸に納めて、今年一年を共に楽しく歩んで参りませんか。

     令和六年元旦

気候変動、コロナ禍などの困難は、私たちが子々孫々この星に生かせていただけるための大自然から注意報と考えて、不平不満に思わず感謝の心を持つようにしていきましょう

現在、私たちを取り巻く環境は決して豊かなものではありません。
世界を見渡しても、戦争、飢餓そして地球温暖化による壮絶な気候現象、法運先生がご心配された健康国難・経済国難に加えて人心の乱れが困難に拍車をかけて如実に生活の中に顕れております。
『この厳しい環境を、どう喜べばいいのか?』
法得先生の遺された「感謝して今日もニコニコ働きましょう」のみ教えの心にそって考えてみましょう。
必ずその困難の中から感謝できるものが見つかるはずです。
み教えの根本は「夫婦が基本」とお教え下さっています。
もし夫は妻を妻らしく扱わず、妻もまた、夫を夫らしく扱わず、また妻は夫の親を、夫は妻の親を、親として敬愛せず、その兄弟、姉妹に対しても互いに疎んじ(うとんじ)たり、反目したり、恨み、嫉み合うと神にも仏にも見放され医者の薬も功を奏せず、これをなすのは懺悔(ざんげ)反省あるのみと、先生は、このように夫婦としての根本精神を唱えられました。
「夫婦が基本」との教えを、もう一度、自分に言い聞かせてこの一年を歩んでいきたいものですね。
そして、連れ合いを亡くされた方、また事情でご夫婦の生活が離れている方は、ご夫婦で共に歩まれた時のことをしっかりと振り返ることが大切であり、また独り身の方は、今、自分がこの世に存在しているということを考え、その基をたどってみて両親が、先祖があったればこそと、あなたを育んでくれたことに思いを馳せてみて下さい。
歩みを振り返りながら、反省と感謝の心に触れて、本年を乗り切って参りましょう。

      令和五年元旦

困難を喜びに変える教えがあり、そして仲間がいる
仲間同士の家は離れていても心は繋がっていきましょう


今年一年がいかなる年になるのか、心の平静さを保って生活できるのか、その答えは皆様の生活の中の心の持ち方によって決まってくると思います。
どんな困難があっても、法運先生・法得先生の遺された宇宙の真理のみ教えを自分の心として歩んで欲しいと思います。
その答えが、自分で考えてみても考えてみても、それでも分からない時は会のお仲間と話し合ってみて下さい。
それでも分からない時は、然るべき人に教えてもらって下さい。
そして教えていただいたことを真剣に受けとられ、理解を深め実行して下さい。
私達には困難を喜びに変える教えがあり、そして、そのお仲間がいます。仲間同士の家は離れていても心は繋がっています。
皆で心の持ち方を話し合い、助け合い今年一年を明るく元気に生活して参りましょう。

     令和4年元旦

楽観のこころを日常の糧として歩みましょう

昨年は、コロナウイルス拡散防止のため、私たち報恩同志会も道場を始め地方の修養会も休講を余儀なくされました。
原因のない結果はないとのみ教えの観点から考えますと、もう一度我が身を振り返る機会を与えていただけたことと思います。
私たちの教えは、感謝するこころと、反省をするこころの大切さを教えて下さっています。
そのどちらが欠けても教えから離れてしまいます。
私たちは昨年、日々の生活の中で、その基本的な教えが実行できたかどうか、ゆっくりと歩みを振り返ってみて、それから今年1年をスタートして参りましょう。
そして困難に遭遇したときは、
「感謝して今日もにこにこ働きましょう」
の誓いの言葉を思いだして、困難から眼を外さず向き合ってみて下さい。
必ずその中から感謝することが見つかると思います。
そして感謝と自己反省が日常生活の中で習慣化して身についたら、法運先生が開運の基として遺された、
(楽観のこころ)=(日々の生活を喜んで、安心のこころで暮すこと)
を日常の糧として歩んで参りましょう。
本年もまた予測できない困難に遭遇するかも知れませんが、み教えを正しく受け取り、ご家族やご親戚や何でも話しが出来る友人を大切にして、元気で明るく和やかな生活が出来ますように共に努力して歩んで参りましょう。
 
    令和3年 元旦

み教えを実行して体得し、み教えに自信を持ちましょう

昨年は大自然のお力を見せつけられた1年でした。考えてみますと大自然が用意してくれた地球に人類が生まれたのでした。大自然が先でしたね。大自然の意のままですね。
法運先生は大自然の摂理を究められ〝宇宙の真理〝と名付けられました。
私達の国は神様が地球上に最初にひらかれた国で肇国(ちょうこく)と云われています。
神様が目的をもって造られた国です。世界平和のために努力する国、国民としての自覚を持たなければなりません。そのために四魂を授けられています。
四魂(しこん)を磨いて同志会の発展に役立たせましょう、如何様にして?
み教えを実行して体得し、み教えに自信を持ちましょう。

【四魂】
・ 和魂(にぎみたま): 広大無辺の協同奉仕精神の発動
・ 幸魂(さきみたま): 人類の永遠無窮の進化、人類の発達、生活の福祉増進
・ 荒魂(あらみたま): 平和を願うための犠牲精神
・ 奇魂(くしみたま):  絶対敬神崇祖の信念

    令和2年 元旦

(註)肇国(ちょうこく)とは、初めにできあがった状態の国という意味になります。


み教えを実行し、そのご縁を次世代へ


昨年、私達の国は、地震や台風による風水害の被害が大きかったように思います。
私達の国は大自然との共生を心掛けてきた国でした。
恩師小林法運先生は大自然の摂理を究められ、それを「み教え」としてお遺し下さいました。
「世間で良いことというのは、当たり前のことにしか過ぎないのだから、とやかくいう必要はない。悪いことこそ気をつけて、道義のすたれた今の世、せめて当たり前のことが出来るようでありたいものだ」と。
また、「私達の国は、真の日本人が住む国になれば大自然による災害は無い」とも。もう一つ、「修養は実行が眼目である」
今、末法の時代と云われています。
末法の時代にはどんなに立派な教えであっても、形骸化(広辞苑より:当初の意義や内容が失われ形ばかりのものになること)すると教えられております。
末法万年(広辞苑より:修行するものも悟りを得るものもなく教法のみが残る時期、日本では永承(えいじょう)7年〔西暦1052年〕からとされる)といわれるこの世に生かされている私達です。
奇しくもみ教えにご縁をいただくことが出来ましたことに感謝して、「み教え」の体得に専念し、次世代に「み教え」を受け継いでいただけるよう努力してまいりましょう。

    平成31年元旦

 
真の日本人になろう


日本国民としての修養の根本は、恩師小林法運先生が教えられた『真の日本人になり切る』ことにあります。
これには第一に日本の国体(こくたい)を正しく理解して、国体と合致した精神で日常生活を営むことが肝要であります。日本国民として生を享(う)けながら、日本の国体が如何なるものかということも知らないで徒(いたずら)に修養に志しても、ただ修養ということのみに囚(とら)われ、末節(まっせつ)に走るに過ぎない結果となります。先ず日本の国体というものを脳裡(のうり)に深く植え付け、それから種々の修養に志すべきだと考えます。

私達の国は実在神(じつざいしん)により肇国(ちょうこく)された国です。そこに大自然の大きな意志を感じます。私たちの先生はその意志を『大自然の摂理』『宇宙の真理』と説かれ、そしてそれは日本国の建国精神だと教えられました。
明治天皇が明治23年10月30日に発布されました『教育勅語』(きょういくちょくご)を実践躬行(じっせんきゅうこう)することが真の日本人として完成される道だ、何故ならば教育勅語は大自然の摂理を集約したものであり、天地の公道(こうどう)をふむ所以(ゆえん)でもあるのだからと。
昭和20年8月15日の敗戦の日から教育勅語は国民の脳裏からだんだん消えてしまいました。この甦生(こうせい)には長い年月を必要とします。それには先ず昭和23年の国会で行われた教育勅語の排除、失効の確認決議(かくにんけつぎ)の取り消しが求められます。
法運先生のご遺言で教えを継承された法得先生は「敗戦は神意なり」と獅子吼(ししく)され、亡国になりかねない世相を案じられ、教育勅語の精神を分りやすく世人(せじん)に伝えるべく昭和22年3月28日に財団法人報恩会の認可をいただきました。
私達の会は報恩同志会と称し、総ての国民に日本人の精神をもっていただけるように活動している同志の集まりです。
法運先生は「人間の真の幸せ」について説かれ「そのための心のあり方」について、その具体的な方法としての「精神修養」を完成して遺してくださいました。
人生全般に生かしていける教えです。

     平成30年1月 

教育勅語の原文と口語訳はこちら
文中の語句解説はこちら
 
「修養」は徹底した反省から

世界の流れ、特に政治の世界が大きく変わるように、報道されています。平和で住みよい世界に変わってもらいたいものです。
私達は法運先生のお遺しくださいましたみ教えにご縁をいただいています。先生のご遺志は、日本精神をもった日本人の住む日本国の建設にあると思います。そのために艱難辛苦のご努力をしてくださいました。
先生は、「原因のない結果はない」と教えてくださいました。所謂不幸(不仕合せ)と云われます、病気・災難・人災・天災などのことですね。
先生は、「徹底した反省は神仏に通ずるものだ。だから盲(めしい)がみえ、躄(あしなえ)が起ち、唖(おし)が口をきいても不思議じゃない。神仏の成せる業(わざ)である限り、当然のことだろう。それなのに世間では、それを称して奇跡だという。
前の晩、寝るまで元気でとびまわっていた子供が、疫痢(えきり)かなにかで、一夜のうちに冷たい亡き骸になってしまったり、つい今しがたまで何のこともなく活動していた人が、心臓麻痺で、はたまた脳溢血で、みる影もないはかないものになってしまうのは、それはなぜ奇跡といわぬだろう、不思議と思わぬだろうか。
心にあやまちがあって病を得、あやまちを反省して病が癒える、ともに当り前のことでしかないはずなのに」また、
「病気をなおすために修養するのではない。不幸からまぬがれるためでも、ましてや災難除けにするのでもない。私達が人間として許されざる過誤を正しく見きわめ、反省に資するためにこそするのでなければならぬ。病気がなおるかなおらぬか、それを考えるのは本筋じゃない」とも教えてくださった先生。
前人未踏のみ教えです。会員一人ひとりが、心と身体で体得すべく努力していきましょう。

      平成29年1月  

 
「修養」という二文字を心に留めて、元気で・明るく・和やかな一年を

本部道場での修養日には静座の時間が設けられております。
静座の時間をさけたい思いの方もあるようですが、何故静座の時間が設けられているのかを考えてみましょう。
本部道場は特別な場所です。
法運・法得両先生が常住されているところです。
すべてのことがお分かりの両先生です。
道場開講日には必ず静座の時間がまいります。但し1日の中の30分間です。そうです、1日の中の48分の1ですし、1か月を30日としますと1440分の1ですね。
このように考えてみますと、何とか自分にも出来そうに思えましょう。静座の時間を楽しむためには家庭において静座のための訓練が必要ですね。
その努力をしてから道場にまいりますと分からせて貰えることがあります。
静座の時間は法運先生が会得され、お遺しくださいました法運術の体感できる時間であり、行学二道の実践の時間でもありますからね。
「修養は日々の生活の中にあり」と教えられております。道を求めるための不断の努力の大切さを教えられております。
静座のために努力する心を持つことで、修養に志す自分というものを見つめなおすことにもなり、次への階段をあがることも出来ましょうし、悟らせていただくこともありましょう。
そのことの分かる人は、実際にそのための努力をした人だと教えられています。
『修養』という二文字を心に留めて、本年も楽しみながら、元気で・明るく・和やかな一年となりますように努力してまいりましょう。

     平成28年1月  



「教育勅語」の精神を忘れず、真の日本国民となるよう努力していく


よきをとり あしきをすてて 外つ国に
おとらぬ国と なすよしもがな
明治天皇の御製です。

敬神と祖先崇拝は日本精神の最大の特徴として、萬邦にこれほど高度の特色を発揮しているものはない。
教育勅語のご発布になられた当時は、日本国内の思想が混沌として、深憂に堪えない情勢にあって、過去一千年間に於ける儒佛思想の影響と、それが禍因となって胚胎せる封建制度の余弊と、それに永らく因習づけられた唯物思想と明治維新の開国進取の波に乗って、物質文明を極端に謳歌礼讃し、殆ど狂的心酔に陥った結果、三千年来の伝統的誇りたる日本固有の民族性は全く失われたかの観さえあった。
更に昭和20年8月15日の敗戦後は、アメリカ製の物質文明の大波を受けることになった。日本には宇宙の真理から生まれた天地の公道があって、国民はこの天地の公道たる建国精神を遵奉して、日常生活の規範とするものであるから、人為的の教えに従わなくても、自然に古来一貫した公道に基づいて無理のない生活を営むのが却って真意にそう結果となるのである。
即ち、神そのままの生活をなすことに努めるのが宇宙の真理に合致するのであって、吾々も亦、宇宙の一分子たる以上、大宇宙に融合する生活が最も理想的であり、日本国民としては、国体に適合する所以となるのである。
先生の教えを熟読玩味して下さい。
   
     平成27年1月  

 
報恩同志会道場をもう一つの富士山に

昨年7月には、富士山の『世界文化遺産』への登録が決まりました。
昔から霊山信仰の山という文化を認められたのですね。
日本人は大自然との共生の中で、山や海などの自然の姿から神の存在を悟り、素朴な信仰心を育んで来たのです。
現在の姿の富士山ができてからは、特別な山として日本人の心を鼓舞してきました。
ですから日本の国には各地に、〇〇富士と名づけられた故郷の富士山が300以上もあるということです。
日本の国旗になっております日輪、富士山頂でのご来光の瞬間を見るために大勢の人が登山しています。
近年、山へ登る人が多くなって来ましたが、自然を征服する、頂上を極めるという目的の人も多いようです。
富士山へ登るということは、私たちの人生の歩みと同じように一歩一歩前へ進むことですね。
『山で立ち止まって休む時は、これから行く上を見ずに自分が歩いてきた下を見ろ』と言われていますし、『しっかり足全体を地面につけて登れ』とも‥‥‥‥。
『寿命の尽きる時まで修養だ』と教えられております私達。先へ進んで行くためにも、立ち止まって今日までを振り返り、地へ足をしっかりつけてこれからの豊かな人生を開きましょう。
自己反省の聖地、『報恩同志会道場』。もう一つの富士山として、会員だけのではなく、国民のお山となるよう努力してまいりましょう。

   平成26年1月   


明るく平和な「日本国建設」に向けて


私たちの国は年々高齢化が進み、高齢化社会といわれています。高齢者にとって長寿は有り難いことですね。
高齢者のなすべき仕事、やらなければならない仕事があるから生かされていると思います。
長い人生経験から会得した知恵を活かし、社会のために奉仕する機会を与えられているのですから。
そのためには、健康で明瞭、活発な行動がさせていただける生活設計が必要となります。
法得先生は「法運先生の踏み台、教えを聞かれる皆さんの踏み台」と自分を位置づけられておられました。
私たちも家族の、子供たちの、孫たちの踏み台となれるように努力いたしましょう。踏み台は踏まれても投げられても、痛いとも辛いとも文句は一切言いません。
自分の体験、経験で得たものを、そのまま家族に押し付けることなく、相手が何を望んでいるのか、何をしたいのか、相手の欲するものを引き出してあげましょう。若い人たちが喜んで、力一杯活躍できるように後押しをいたしましょう。
そして家中のもの―夫婦、親、子、孫が力を合わせて明るい平和な国、『日本国建設』のために働きましょう。

   平成25年1月  
     
 
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